『寄生獣 セイの格率 第23話』観ました。

“
この棒だって使えるだろうか
ただの棒とは限らない
この先に大きな部品でもついていたらどうする?
引き抜くこともできないじゃないか
ただの棒だとしても変に曲がっていたらだめだし
長すぎても短すぎてもだめだ
第一「後藤」のスピードにかなうか?
いまはそっぽを向いていても
こっちが起きあがればすぐに気づく
ヤツの体に触れる以前におれの体が
2つか3つに切り裂かれ・・・・・
いや起きあがるまえだ、それどころか
もう次の瞬間かもしれない
なんだ・・・・・・ほとんど可能性ゼロに近いじゃないか!
・・・・・・・・・でもやらなけりゃ・・・・・・確実な0(ゼロ)だ!!”

“
おれはちっぽけな・・・・・・1匹の人間だ。
せいぜい小さな家族を守る程度の・・・・・・”
“
きみは悪くなんかない・・・・・・。
でも・・・・・・ごめんよ・・・・・・・・・”
この流れ、何度読み返したことか。
無敵の存在である“後藤”との戦い。
ミギーが居ないからこそ、近づけたという設定の妙。
戦闘中に“死”に惹かれるかのように、自分の命を投げ出すことが使命の様に感じていた新一が
戦えることを自覚し。
美津代さんの言葉によって
多くの事に考えをめぐらす所の描写が秀逸。
これで1ヶ月待った当時の読者の一人としては
(思い入れが強いので)
アニメでの描写は少々物足りない気もしますが
動きや時間等を考えたら、あれが最善かもしれません。
そして、「
なぜ、プロテクターの隙間が分かった?」
「
なぜ 硬質化の隙間が分かった?」(アニメでは)
ここも前回の市役所戦の伏線が生きていたりしますね。
ミギーの復活。このシンプルな「
やぁ」という言葉が素敵です。
そして、最強生物「後藤」を苦しめたのは人間の捨てたゴミという皮肉。
ミギーが「後藤」を殺さない理由も
「(新一)ほんっっと 情のかけらもない!! (ミギー)だからそうだってば」のところから
本当に遠く離れていますね。
「後藤」の処遇に関して、あとがきでも著者が悩んでいたことが明らかになりますが。
最初に、「後藤」を殺さずに立ち去ろうとしますが
ミギーの言葉も含め
新一は1匹の人間(万物の霊長でもなく)ただの1匹の生物として
世界を守るとか、そんなお題目でなく
自分の出来る範囲の命の為に
自らの意志で、(ミギーの力を借りず)自ら手を汚します。
ラストが駆け足だったのが・・・
美津代さんのセリフがあったのはやっぱりぐっときます。
あの、自分たちの町へ向かう、新一とミギーの後姿は
「日常」に帰還するのを明示しており。
「神話」の世界に突入した『デビルマン』と一番の差異だと思っているので
もう少し、余韻が欲しかったなと、もったいない気がします。
さて、最終話。
期待しています。