「
聲の形 5巻」(
感想)
(著)
大今 良時将也と硝子の周囲にも様々な人間関係が新たに生じていっています。
少々うっとうしい友人・永束の提案で始まった“映画作り”に参加することになるのだが・・・
僅かな諍いはあれど、友人たちと過ごす夏休みに
少しの充実感を感じる将也だったが
ロケハンで、(因縁)の小学校の使用を頼みに行きだしたところから
不穏な空気が流れ始めます。
昔、いじめられっ子だったというイケメン・真柴君のいじめに対する激しい怒り。
1巻で強烈な印象を残した元担任教師・竹内との再会。
(いやー。まさか再登場するとは思いませんでしたが)
主人公の進学した高校のレベルで(その教師もそこの卒業生だったというオマケつき)
掌を返したように“立派になって”を
繰り返すこの教師に本当に、吐き気に近い嫌悪感を覚えます。
自分も、大人なのでレッテルや、人の評価に学歴が全く関係ないとは思いませんが
ここまで分かりやすいのは・・・
硝子に対して、ハズレくじと言ってのける精神。
ここまで、ひどい言動をする教師がいるだろうか。
(・・・フィクションにしても、無理がありすぎな気もします)
自分たちも、職場に良くも悪くも慣れてしまい
こんな風に凝り固まった人間にはなりたくないな、と思いました。
そして、その言葉を聞いた時に
将也のように、嫌悪感を感じながらも何とか、やり過ごそうとするのが
(社会的には)正しいのかな????・・・
真柴君のように教師に持っていたペットボトルの液体をぶちまけるというやり方
どちらが正しいのだろう?
それによって、教師の再度、将也に対する評価・言動も変わる辺りが、心底ひどい。
それから、川井さんに(過去の話を真柴君にしていないかどうか)確認をとった所から
一気に、硝子をいじめていた過去がクラス中に明かされます。
そして、今度は仲間同士の争いに。
自分は、同調していただけと責任転嫁を図るもの。
それなりに悩んできたと叫ぶもの。
二人とも怖かったと真情を吐露するもの。
本当に気分の悪い部分なのですが。
ある意味、いじめの構造であったり、被害者になりたくなければ加害者になろうとしたり
それもできない人間はどうすべきだったのか。
色々と考えさせられます。
将也も嘘偽りの無い気持ちを吐露し。
仲間たちは空中分解を強いられます。
(ここで、真柴君に、前からいじめっ子を殴りたいということを聞いていた将也は
殴るように口にし、真柴君もためらいなく殴ります。
ここの描写は流石にびっくりしました。
硝子の妹である結弦の「
何様だよ、おまえ」という
言葉に「
他人様」と応える辺りも・・・)
最初に読んだ時には、この問題の当事者でない人間が
自己の過去の弱さを払拭するために
暴力を振るったことが、納得がいかなかったのですが・・・
繰り返し読んでいくうちに
実は、真柴君は将也の“
罪に対する罰が足りていない”という意識に気がついていたのかな?とも
だからこそ、そのあとの「じゃ また新学期で」という言葉が出てくるのかな?とも思います。
ある登場人物がメールで送ってきた
“
どうやったら自分が昔より成長したってことを証明できるんだろう”
の言葉も胸に刺さります。
そして、ラストはさらに、おそらくは読者が誰も予想だにしていなかった展開に
なだれ込みます。
将也の視点・他の人間の会話、モノローグに比べ
(ヒロインであるはずの)硝子の内面描写は少なく意図的に、読者にも判らないように構成されています。
だからこその衝撃。
今巻の終わりを読んで、改めて、表紙を観ると今までの巻と違い、笑っているように見えていた
二人の顔が、無理して笑っている気がしてなりません。
・・・お願いだから、この二人に幸せな結末を用意してもらいたいと
切に願うばかりであります。