「
飢餓海峡」(
感想)
(
原作)
水上 勉(
監督)
内田 吐夢(
出演)
三國 連太郎 伴 淳三郎 左 幸子
高倉 健 加藤 嘉今回のプログ・DE・ロードショーはこの作品でした。
1946年、昭和21年、青函連絡船・層雲丸が台風により沈没し
多数の乗客の遺体が収容される、しかし、身元不明の遺体が二人残った。
乗客名簿にも載っていない二人。
同日、起こった北海道内での質屋殺害事件、そして、それに伴う出火により
岩幌町は大きな被害を被る・・・。
刑事の弓坂(伴淳三郎)は、転覆のどさくさで起きた殺人事件と考え捜査を続けていく。
そして、青森県で一人の髭面の大男(三國連太郎)が軌道車に乗り込んでくる。
そこで杉戸八重(左幸子)という娼妓と知り合うのだが・・・。
まずは、東映W106方式って何?って思うのですが
調べてみると
東映ビデオ 電脳部というfacebookアカウントで
詳しく説明がありました。
https://ja-jp.facebook.com/toeivden/posts/561112193917334
いやいや。・・・凄い映画でした。色んな意味で、本当に。
観る前は尻込みしてしまうのですが
183分。観ているうちはあっという間でした。
ただ、この自分の中に残った感覚は何なんだろうか。
今朝から見始めて、午前中を費やし
それからあと、ようやく原作を読み終えて
まだ、消化しきれてないので、思いつくままあげていきます。
巫子(イタコ)が口にする
戻る道ないぞ・・・帰る道ないぞ・・・。という言葉がひどく印象的でした。
改めて、人間がおこした罪と
その贖罪は可能なのか?ということを考えさせられます。
三國連太郎演じる男・犬飼。
左幸子演じる・杉戸八重。
二人の出会いから、別れ。
金を渡すまでの二人の演技。
世慣れていない、何かを怖れているかのような男と
主導権を握っているかのような女。
ここでの布団の使い方も上手いというのか。
最初、恐怖心を煽るような、それでいて混然一体になる
交わりの暗喩。
何か、別のものを観ている様な錯覚に陥ります。
(タイトルの“飢餓”何度もこの字を見ていると同じように感じます)
あとは「
嘘いわないでよ。みんな嘘いうんだから」という八重の台詞が
後々になって、犬飼自身も、事件そのものにもかかっている。
「
五十円です」の声のトーンの変わり具合とか・・・
「
ねぇ、あんた、こんどいつ来てくれるん?」
答えない男。
(この辺が、不器用というか、誠実というか、嘘をいわないという“縛り”を破れない。
その場限りであるからこその関係性なのかもしれません・・・)
その代わりに無造作に新聞紙に包んだ、大金を渡す。
そして、大金を貰い、追いかけようとする八重が
金を一回、布団に隠すリアルさ。
その時には、既に男は襖を閉め、去っていくのですが
二人の関係が“大金”というもので
完全に変わるのも含めて
しみじみ、伝わってきます。
・・・貧乏。貧しさ。
さっきも書きましたが“飢餓”
やはり“腹が減った”や“お腹がすいた”
本やCDなんかを買いすぎて食費がなかったりするぐらいしか
経験していない自分には、語る資格など無いのかもしれません。
「これは極貧の味を知らない者には分からないのであります」
弓坂刑事の言葉や
物語に厚みを持たせるのは
弓坂刑事の子供たちの食事シーンや
(職業柄、闇市の物を購入できないということだと思いますが)
退職後の弓坂(元)刑事を東京に同行シーンで
長男がその事件のせいで、不遇であったことを怒りを見せながらも
そのあと、次男に1000円を持たせて、父親に渡せと促す所は・・・・
そうかと思うと犬飼(樽見京一郎)は、刑余者の更生事業資金に3000万円を寄贈する
篤志家となっている。
原作の方では、堀株(開拓村)農園の再興にも強い意志を持っている。
八重も最初に犬飼から貰った金に
爪に火を点すように、切り詰めた生活を送り
金を重ねていった。
金というものの不可思議さ、吸引力。怖さを感じます。
・・・爪といえば、後生大事に、犬飼の切った爪をお守りと共に持っているのも
(原作では“安全剃刀”)
かなり、人として“壊れている”描写があるのも、特徴的。
その単なる純粋さとも違う。
(最初の出会いのシーンで、握り飯を包んでいた紙を軌道車から無造作に捨てるのも)
犬飼に再度会おうとするのも、“
帰る道がない”運命を自ら選んでいる
ようにも思えます。
池波正太郎の著作で再三、語られる“人はいいこともすれば悪いこともする”
多面性の表現なのかわかりませんが。
原作の犬飼(樽見京一郎)は八重の行李の底にのこしていた
古新聞と剃刀を知り、その気持ちを汲んで、自供するのですが。
映画での犬飼(樽見京一郎)は高倉健演じる・味村刑事の追求だけでは口を割らず
最初の事件の真相も、“藪の中”になってしまったり
誰が、犬飼の心に楔を射ち込むのか
色々と考えさせられます。
あのラストも原作を読むと
意志を持って行ったことが明らかになります。
(映画では、ある意味、最初に海峡を渡ることが
一人の人間の独善的ともいえる(傲慢な)再生を描き
最後に渡ることがそれを捨てることとして、対になっているのかもしれません)
あとは、昨日から考えていた
人が故郷から去るということ。
そこにやはり、何らかの温かい感情が残っていれば
そこを離れても、人は幸せなのかもしれません・・・
加藤 嘉演ずる、八重の父の言葉。
どうしてもこの方がでると『砂の器』を思い出してしまいますが。
犬飼の母に対する行動、故郷に対する行動。
どちらも考えさせられるものでした。
いい作品でした。ありがとうございました。