「
風の果て(上)」(
感想)
(著)
藤沢 周平首席家老・桑山又左衛門の許に、ある日、果し状が届く。
恥知る気あらば決闘に応じよ、と。
相手は野瀬市之丞。
かつては同じ部屋住み・軽輩の子、同門・片貝道場の友であるが
市之丞は今なお娶らず禄喰まぬ“厄介叔父”と呼ばれる五十男。
・・・歳月とは何か、運とは非運とは?運命の非情な饗宴を隅なく描く
武家小説の傑作! (裏表紙より)
先日、読み終えた『火群(ほむら)のごとく』の余韻に
しばし、浸っていたあと
そういえば、藤沢周平にも、そんな話があったよな・・・と
思い出し、書棚の奥を探り探り、見つけ出しました。
昨晩の夜、遅く見つけたのですが
ふとページをめくると(上)(下)巻、一気読み。
読み終えた時には、すっかり明るくなっていました。
いやー。
ほんとに面白いです。人生の老境にさしかかった主人公。
その彼の元に、旧友から送られてきた“果たし状”
困惑しながらも、彼の胸には様々なものが去来していく。
文章はやはり、読みやすく美しいです。
現在の、主席家老である桑山又衛門と
過去の、実家の冷や飯喰いであった上村隼太(はやた)のパートが
物語の流れを損なうことなく自然に現われ
何故、彼が主席家老まで上り詰めることができたのか。
何故、旧友から果たし状を送り付けなければならなかったのか。
二つの大きな謎で読者を惹き付けつつ
若かりし頃に片貝道場に通っていた同門たち
上村隼太と野瀬市之丞と杉山鹿之助、三矢庄六、寺岡一蔵。
五人の人生が浮かび上がってきます。
本当に、人生とは何なのか?
五人それぞれの過去と現在を知ることにより
努力もさることながら
運であったり、選択であったり
当人の持つ資質だけでなく、生まれ持った身分や
夢、金であったり
様々な要素の中で人間は生きていく。
そんな当たり前のことに気がつかされます。
上巻で印象に残ったのは
「
むろん、人間の幸、不幸は禄高の多寡で決まるわけではない。
そんなあたりまえのことをさとるのに、わしは随分と回り道をしたが、
ご亭主の方ははやくからそのことに気づいておったようだの」